のぼり旗の歴史

旗・のぼり旗の歴史

日本の旗の起源は、古く中国の「魏志倭人伝」の記事中に、 魏の国より耶馬台国の地位保証の印に、 称呂印綬を卑弥呼のために贈った戦うための旗だとされる。

日本書紀にも旗のことは広くとりあげられているが、 これは信仰的な裏づけをもった扱いであったと考えられる。
色に関しては、まず白から次に赤になり、中国で尊厳を表す黄色は、 日本では平俗な色となっている。
これは染料のもとである刈安、橡(とち)の実の類が、 日本では容易に入手できるためであろう。

旗の呼び方の起源は、万葉集の「およそ本朝の俗全旗を読みて、波太(ハタ)ということ、波とは長き義なり、太とは手なり、手の長くかかりたれば波太と言えり」による。
これを手長旗といい、初期はこの形式であった。前後して、宗教の用具としてインドより仏幡の頼も日本に入ってきて、図柄や形により権威を表示した。

大和朝では、中国の隋・唐の制度・組織の影響を受け、朝廷行事に「日像幢」「月像幢」「四神旗」などを立て、唐の制度をそっくり真似た、それらのならわしは、以後ずっと天皇即位式のときの用具として前例となった。
その後の有名な「源氏の白旗」「平家の赤旗」は、天皇家から皇子・王子が臣籍に下るとき、新しい姓を授かるのが例であり、白旗・赤旗は臣籍降下のとき、新姓とともに贈られたものである。
それに、藤原氏の水色、橘氏の黄色とカラー分けになったことも中国の「五正色旗」(四神旗の色、青・赤・黒・白に黄色を加えた旗)の真似であったらしい。

のぼりの形式は、応仁の乱に入る少し前にのぼり式の旗が工夫され、以後この形式が武家の旗の形の主流になったが、それ以前の旗の形は、竿の先に一本の横棒を添え、旗布の一端をそこへ固着させ、長く流す形式のものであった。
この場合、横棒を「横上」と称し、旗のいちばん神聖な箇所とされた。
その後、戦国時代に識別の手段として、ある一方が旗の形を変えてのぼり形式にしたといわれる。
ただそれだけのことが戦場の旗を一変させた。

のぼりの別名を「乳付き旗」という。犬の乳首のように行儀よく並んでいるためである。また「耳付け旗」ともよぶ。

のぼりの語源は、乳を伝わって、旗竿の上へ上へ押し上げるところからノボリ(昇り)と 称しているともいわれている。
現在では、一般的に「乳」のついた伝統的な形式のものを「のぼり」(幟)、棒の横にとりつける形式のものを「はた」(旗)と呼ぶ場合が多い。

日本には幕末から明治にかけて、ヨーロッパの伝統的な旗の形式が導入され、国事、軍事、船舶、スポーツなどの分野からひろまっていったとされる。

ヨーロッパの伝統的な旗の形状は、目的によって、スタンデード (Standard、王室などの掲揚旗でいちばん大きなもの)、バナー(Banner、王・騎士などの個人旗)、エンサイン(Ensign、軍艦の旗)、ペノン(Pennon、槍などの先につける目印)、ペナント(Pennant、船のマストなどに付け、船の区別の旗)などがあり、現在のスポーツ用の旗、団体交流用バナー、優勝旗などにこの形式のものがみられる。

日本では、「旒」「幡」「旌」の文字で表現されたこともある。

「日本の印染」全国青年印染経営研究会-編集・発行-より
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